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華ちゃん

この写真はおそらくは

2006年7月~8月頃に撮影した

ポスター用の2ショットです。

先日の番組で発表しましたが

2006年10月から

「CUBE」のキャスターを務めた

角田華子さんが2024年3月30日の

放送をもって番組を「卒業」されます。

私は

2006年10月から2009年3月までの

2年6か月、

2015年4月から2016年3月までの

1年

そして2017年4月から今月までの

7年の、

合わせて10年6か月、角田さんとCUBEの

キャスターを務めてきました。

(2002年7月から2006年9月までは

林恵子さんと組みました。)

二人で550回以上、土曜日の朝に

「おはようございます」と

一緒に挨拶してきたことになります。

写真は最初の番組宣伝用のものです。

思い出は数限りなくありますが

「めざましテレビの初代お天気担当」の

「華ちゃん」のままのピュアな感性、

ストレートな喜怒哀楽、

それに母としての優しい視点、

そして関西出身の笑いの感覚に

どれだけ支えら、助けられたか。

何年一緒に仕事しても

そしてスタッフとお酒を飲んでも

「華ちゃん」は

「みんなの華ちゃん」でした。

ありがとう。

そしてこれからもよろしく。

旧友からのLINE その2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回の続きです。

で、今年の三が日は、ある意味で

「テレビにくぎ付け」になってしまいました。

元日は、石川・能登地震が発生。

いまだに行方不明の方も多く大変心配な状況が続いています。

そして二日は羽田空港での航空機事故。

私は福岡空港で1996年に起きた

ガルーダ・インドネシア航空機の事故報道で

ほぼ6時間以上スタジオから放送を出し続けた

経験がありますが、その時には焼け焦げた

機体の残骸がはっきりと目視出来ましたが

今回は炎に包まれて崩れ落ちていく機体を

呆然とテレビで見ていました。

 

そして、昨日、またH君からLINEが!

「小倉の鳥町食道街燃えたん?」

北九州市小倉の繁華街にある鳥町食道街で

大規模火災が発生。H君も競馬小倉開催時には

利用していたということで、もちろん

私もかなり通った場所です。

一昨年、二度の大規模火災に見舞われた

旦過市場からは本当に近い場所にあります。

・・・・・ショックですね。

 

そして、放送人としていろんなことを

考えた年の初めとなりました。

大規模災害・事故の報道は、最大の使命であり

永遠の課題です。

しかも、私の現在の立場は、自身がその報道にあたると共に

系列の若いアナウンサーを指導していくことも

大きな役割となっています。

 

早速、明後日は「福岡ニュースファイルCUBE」の

今年最初の放送があります。

また、1月中旬には、フジテレビ系列、九州・沖縄8局の

アナウンサー研修会がTNCであり、その講師を務めます。

今回の災害・事故に関しての報道について

若いアナウンサーに何を指摘し、指導していくか

考えをまとめないといけません。

 

次のH君からのLINEは、いつもの

「お互いの愚痴」を含めた

「食事会」の誘いでありますように・・・。

 

あらためて、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

旧友からのLINE

新年の挨拶も年賀状ではなくLINEなど

SNSでという人も増えています。

福岡での民放他局の同期入社で

現在は移籍し、現役の局アナを続けている

H君!去年、私と同じ11月に「真っ赤な男の子」に

なりました。彼からは、まず暮れのご挨拶として

LINEで「今年もお世話になりました」がきます。

で、例年は次には、新年になってから

「あけまして・・・」が来るのですが

今年は、

「西島まどかさんの結婚は驚いた。」

が、第一報でした。

新年から「芸能ニュース」として騒がれた

TBSの安住アナウンサーの結婚相手の

元タレント「西島さん」のことですが、

H君は単に「驚いた」ではなく、同じ

「競馬」というフィールドで働いていたので

西島さんと面識もあって、より驚いたという

ことなのでした。

もちろん、私もびっくり。

西島さんは、2010年から2013年にかけて

小倉競馬場開催時のTNCの競馬番組

「競馬BEAT」でMCを務めていまして

当時、競馬番組を制作する部署の

マネジメントも兼務していた私は

今回の「馴れ初め」として伝えられている

彼女の「食への飽くなき探求心!」を

目の当たりにしてきた一人でもあります。

特に2011年には、東日本大震災の発災に

関連して、他場での開催分が小倉で代替開催と

なった関係で、例年ですと当時小倉では

年12回程度の開催だったものが、この年は

当時の勤務実績をみると私は24回小倉に

統括として立ち合いに行ってますので

激務の中、彼女の底なしの明るさに救われつつ

これまた底なしの「食への探求心」を

満たすべく研究を重ねたことを覚えています。

西島さんに元日にLINEを送ったところ

「変わらずのんびり生活していきたい」と

彼女らしい返信がきました。

本当におめでとうございます。

(次回に続く)

 

 

「ボクタクボ」第2章

1987年〈昭和62年〉4月1日(水)

「国鉄」が「JR」に分割民営化された日

一人のアナウンサーが

テレビ西日本に入社しました。

この1987年4月は、

フジテレビ系列では

月曜夜9時がバラエティーから

ドラマの枠に変わりました。

今の「月9」の始まりです。

記念すべき最初の作品は

岸本加世子さんと

神田正輝さん主演の

「アナウンサーぷっつん物語」でした。

主題歌はBaBe(ベイブ)の

♪I Don’t Know!♪

向かって右側の

二階堂ゆかりさんの

ファンでした。

ところが、第4話までで主要キャストの

一人が何らかの理由で緊急降板し

そのため、第5話は、急遽生放送となり、

結局、第6話まででドラマは

終了となりました。

実は、このTNCの新人アナウンサーは

4月下旬から5月一杯

フジテレビでの系列合同の

新人アナ研修に参加しており

なんと、ドラマの第5話では

新人アナウンサー役の

故可愛かずみさんや

高井麻巳子さんと一緒に

フジ4人+系列4人の8人の同期が

アナウンス研修を受けるシーンが

撮影されていて、本来なら

ニュースや天気予報を読むより先に

いきなりゴールデンドラマデビュー

するはず・・・でした。

ところが、前述のように

第5話は「緊急事態」でお蔵入りとなり

俳優デビューは幻となりました。

それから36年と8か月。

そのTNCの新人アナウンサーは

「ぷっつん」することなく

仕事を続け、そして

2023年11月30日(木)をもって

TNCの定年を迎えました。

そして、本日12月1日(金)からは

再雇用となり、肩書も

「エグゼクティブアナウンサー」から

「マイスターアナウンサー」となって

明日からも引き続き「CUBE」を

はじめ、今まで通りTNCに

出演し続けることになりました。

 

ということで

上から読んでも下から読んでも

「ボクタクボ」

回文となっているタイトルのように

上から進んでいった局アナ人生も

ここからは「下から読んでも」の

折り返しかなと思っています。

これからも

「ボクタクボ」を

よろしくお願い致します。

真っ赤な男の子?

2023年11月21日(火)

おかげさまで「60歳」の誕生日を

迎えました。

すでに会社内で

盛大に「還暦祝いの会」を

開いていただいてましたので

心構えは出来ていたつもり

でしたが、やっぱりいつもの

誕生日とはちょっと違う感じでした。

当日は後輩のディレクターから

プレゼントされた赤いネクタイを

つけて妻とお出かけ。

福岡市内に今年オープンした

五つ星ホテルでビールを1杯ずつ

飲みました。

周りからのお祝いLINEなどには

「真っ赤な男の子になりました!」と

返信しているのですが・・・。

みなさん、わかりますよね?

小泉今日子さん、キョンキョンの

ヒット曲「真っ赤な女の子」を

もじって「真っ赤な男の子」、

つまり還暦だと言ってるのですが

若い世代にはびっくりするほど

「???」伝わらないのです。

調べてびっくり!

「♪真っ赤な女の子♪」は

1983年の発売!ということは

40年前の曲だったのですね。

いつの間にそんなに時がたったの・・・。

以降、同年代±10歳くらいの人の返信に

のみ使用しています。

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