・・・となる

ちょっと古い話ですが、4月の初旬に鹿児島に出張しました。

その鹿児島で、取材の合間に昼食をとるために立ち寄った、ファミリーレストラン形式の
あるお店でのこと。パスタとパンのセットを注文したディレクターの前に、パンをのせた
皿を運んできた店員が一言。「パンになります」。
さすがに「いつなるの?」と聞き返すことはしませんでしたが、何度聞いても、そう聞き
返したくなる言葉です。だからといって「パンです」という言葉とともに持ってこられて
も、それはそれで無愛想だなあ、と思ってしまうかもしれません。逆にファミリーレスト
ラン形式のお店で「パンをお持ちしました」と言われたら、くすぐったく感じることもあ
るでしょう。

「~をお持ちしました」「~になります」「~です」。お店の種類、雰囲気、メニューに
よって合う合わないというのはありそうです。一昔前ならば、「パンでございます」とい
う言い方もありました。それらの使い分けは、店員と客、或いは運ばれてくるメニューと
客との『距離感』のようなものからきているのかもしれません。でも、「パンになりま
す」……私の中では使いたくない言葉に入ります。

放送でも「~となる」という表現が気になります。ここ数日メモしただけでも、「結局引
き分けとなりました」「連敗となりました」「○○(選手)不在となったチームは」「締め
切りは火曜日までとなっています」など。
「引き分けに終わりました」「連敗を喫しました」「~(選手)不在のチームは」「締め
切りは火曜日です」としたいところです。
「~となる」という言葉が醸し出す、何ともいえない『距離感』を感じて仕方ないのは私
だけでしょうか?

場合によって、そうした曖昧な表現にせざるを得ないこともあるのは確かです。しかし
「~となる」の連発は、ボキャブラリーの不足を感じずにはいられません。
言葉の選択から生まれる、受け手との『距離感』を常に考えながら放送に臨みたいもので
す。